記憶はウソをつく

少し前の水曜日のことです。午後に予定がなかったのでマイナンバーカードの更新手続をしに市役所までいったのですが、そのマイナカードを忘れるという失態を犯してしまいました。窓口でカバンをひっくり返して中をあさっても見つかりません。私はマイナカードのみならず保険証、印鑑登録証、診察券、果ては図書館利用証までありとあらゆる身分証明書を一つにまとめるという、投資なら一番やってはいけないとされることをやっています。もしなくしたとなれば破産とまではいきませんがおおごとです。

忘れ物をしたとき、多くの人は最後にそれを触った時の記憶を何とかして思い起こそうとするのではないでしょうか。多分に漏れず私も頭をフル回転して過去を辿りました。金曜日には薬をもらいに病院に行っているのでその時点までは確実にあったはずです。いや、土曜日にも図書館に本を返しに行っているからその時もありました。いやいや、マイナンバー更新の書類は火曜日の夜にとどいたのですが、そのときにマイナカードを取り出して有効期限を確認したかもしれない、2029年までと書いてあるのになんで今の更新なんだ、そもそもマイナカードって更新がいるのかよ、めんどくさいなあ、などということを考えた気がします。

そうすると昨日、つまり火曜日の夜にカバンから取り出してそのまま家のどこかに置いたままというのが一番ありそうな気がします。市役所の駐車場でそんなことを考えた私はそのまま家に直行し、家探しをはじめました。しかし、いくら探しても見慣れたカード入れを発見することはできません。これは本格的に紛失か、どうしようと途方に暮れていたとき、図書館での記憶がおぼろげによみがえってきました。そうだ、たしか返却する本は別のバッグに入れて持ってきたので、新しく借りた本と一緒に図書館利用証(と、その他)をそのまま別バッグに突っ込んだかもしれない・・。別バッグは事務所にあるので今度は事務所まで行き、祈るような気持ちで開いてみたところ、いかにも証明写真です、というような感情のない男の写真がこちらを見ていました。おそらく今年一の安堵のため息が出たと思います(更新も何とかその日のうちに済ませました)。

何の話だよと思われるかもしれませんが、法律事務所のHPに書くコラムなので一応仕事には関係しています。私の言いたいことは、「火曜日夜の記憶はどこから出てきたんだ?」ということです。結局、マイナカードその他は土曜日午後に別バッグのポケットに突っ込まれたまま水曜日まで忘れ去られていたのですから、火曜日にカバンから取り出すなどということはそもそもできないはずです。つまり、私が市役所の駐車場で思い出したと思っていた火曜日の夜の記憶はまったくのウソで、脳がどこからか持ってきたものだということです。カードの有効期限は確かに2029年だったので、別の機会に確認したのでしょうか。ただ、いつ確認したのか正確な記憶はありません。

弁護士は裁判を扱いますが、民事裁判でも刑事裁判でもいわゆる物証がなく人の記憶に頼らざるを得ないときがあります。当事者の記憶が真っ向から対立していることも珍しくはないのですが、その際にどちらが信用できるとみるのかは業界に長年の蓄積があり、ノウハウとして共有されています。記憶の内容に迫真性や具体性があるかということも判断の一つの基準とされているのですが、今回私の脳が作った火曜日夜の記憶は結構具体的でした。結局本物だった図書館の記憶は車の中で私が本をバッグの中にごそごそやっているものでしかないので、裁判だと偽の記憶の方が迫真性ありと言われてしまいかねません。

人間の記憶は当てにならない、というのはこの仕事をしていると散々言われることではあります。必死に思い出そうとしているときほど脳が空気を読んで(?)それっぽい記憶を作ってくることもあるのかもしれません。