「決断」のストレス
弁護士に嫌がられる依頼者の方の行動はいくつかありますが、間違いなくその一つに入るのは「和解条件に合意していたのに、成立直前になってひっくり返される」ことです。これを経験したことのない弁護士はいないのではないでしょうか。
弁護士からすれば自分がやらかしたわけでもないのに裁判所にも相手方にも平謝りせねばならず、その後に判決をもらうにしても影響があるのかもしれないなどと考えてしまいます。なぜこんなことをするのかずっと理解できなかったのですが、最近は「自分の判断で紛争を終結させる」ことに耐えられないのかなとも考えるようになりました。
何でも、心理学の分野では「決断」することは脳に相当の負荷をかけると考えられているらしく、一日に何度も決断を強いられるとだんだんとその精度が下がっていくようです。訴訟になるような紛争は人生の中で何度もあるようなことではないですから、それを終わらせる決断には精神的にもかなりの負荷がかかることは容易に想像できます。
先述のような直前の和解拒否がされた場合、和解そのものが不可能になって判決をもらうことが多いのですが、和解を受け入れていた場合より悪い結論になってしまうことも少なくありません。ただ、そんな結果になっても控訴はしないという方も無視できない割合で存在します。客観的にみればおよそ合理的とはいえない行動なのですが、結果の善し悪しより自分で決めることを回避したいという感情が勝ったとみれば、ある意味ではこれも筋が通っているかもしれません。和解案の説明をするときに「先生ならどうしますか」と弁護士に判断を委ねるようなことを聞かれることがよくありますが、これも同じようなものでしょう。残念ながらご自分で判断いただくしかないのですが・・。
裁判官でも判決を書くことを嫌い、当事者に和解を強要するような態度に出る方がいます。裁判官が判決を嫌がる傾向は今に始まったことではなく、判決文作成は事務負担が重いとか上級審で覆されたら出世に響くからなどと説明されてきました。別にそれらも間違っているとは思いませんが、判決という「決断」に潜むストレスを無意識に忌避している部分もあるのかもしれません。
まあ、そうはいっても自分の発言には責任を持つべきで、ちゃぶ台返しをするのはよくありません。すぐに決められないときは和解案が提示された段階でその旨を担当弁護士にきちんと伝えて時間をとってもらいましょう(いつまでも待てるわけではありませんが)。その上で和解を拒否しても、それで怒る弁護士はいないと思います。